『歩いても 歩いても』が描く家族のおかしみと歪みから見える「社会」

『歩いても 歩いても』が描く家族のおかしみと歪みから見える「社会」

映画『歩いても歩いても』の概要

年老いた両親の家、娘のちなみとその家族が訪れている。そこに息子の良多が結婚して間もない妻と連れ子を連れてやってくる。母はみながやってきて嬉しそうだが、頑固者の元医師の父は診療室にこもって出てこない。実はこの日は以前になくなった長男の命日、両親が長男の思い出を語るのを良多は苦々しい思いで聞く…

『誰も知らない』の是枝裕和監督が、ある家族のある一日を描いたホームドラマ。淡々とした中に人間の怖さと暖かさを共存させた秀作。

2007年,日本,114分
監督:是枝裕和
原作:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
音楽:ゴンチチ
出演:阿部寛、夏川結衣、YOU、樹木希林、原田芳雄、高橋和也、田中祥平、寺島進

濃縮された家族の関係が見せる歪み

『歩いても 歩いても』という題名だから、たくさん歩く映画かと思ったらそういうわけでもなかった。しかし、そんな題名のことなどどうでもよくなるような本当にいい映画だった。是枝裕和監督の実力は『ワンダフルライフ』『DISTANCE』『誰も知らない』ですでに証明されて入るけれど、この作品はそれらを軽く塗り替える出来だった。

年老いた老夫婦の家という限られた空間、1泊2日の限られた時間、家族という限られた登場人物、それらのさまざまな限界の中で展開される濃厚な物語。この淡々とした映画に非常な深みがあるのは、このほぼ丸1日という限られた時間の背後に何十年という時間の経過が感じられるからだろう。長男がなくなってからの十数年の時間、夫婦が一緒になり子供たちが育った数十年という時間、そして家族が別々に積み重ねてきたそれぞれの時間、その長い時間がこの1日に凝縮されるのだ。

この作品でまず焦点が当てられるのは父と息子の関係である。このふたりの関係は徹底的な気まずさとぎこちなさからなる。まあ、父親と息子というのはあまりコミュニケーションをとらないものではあるけれど、それにしてもこのふたりの関係は他人よりもぎこちない。その原因にはまず亡くなった長男の存在というのがあるのだけれど、それによって息子は父にコンプレックスを感じ父は息子を見下している。しかし同時に息子もどこかで父親を見下すようなところがあり、父親も息子にコンプレックスを感じてもいる。このふたりの関係から浮かび上がるのは家族と言えども、大人と大人の関係と言うのは他人との関係と変わらないと言うことだ。「家」という強く結ばれた関係の中でも、あるいは内輪だからこそ、誤解や無理解が生じる。

そこに存在するのは「家族」という暖かい幻想などではなく、近いことによってより難しくなった個人と個人の確執である。家族であるから理解しあえることもあれば、家族であるからこそ許せないこともある。しかしやはり家族だからそこには親しさがあり、明確に語ることの出来ない相互理解のようなものもある。この作品が面白いのは、そんな複雑だけれど誰もがわかる家族の関係をリアルに描いているからだ。使わなくなった“ジョーバ”が置いてあったり、とうもろこしのてんぷらが妙においしそうだったり、そういう小さな日常に家族の匂いを感じる。

家族を「社会」と捉えると

そんなことを考えながら思ったのは成瀬巳喜男のことだ。ホームドラマと言えばまず思い出されるのは小津で、確かに小津も老いた父親と娘の関係を通して“家族”のあり方を描いた。家族であっても互いに知らない生活があり、それが家族の関係を変化させていくということを言っていた。しかし、小津が描いたのは“家”の中と外との連続的な関係であり、家族はいわば社会の構成要素であった。

一方で成瀬は女性を中心として家族そのものを描いた。『娘・妻・母』などはそんな作品の典型(で、傑作)だと思うが、家族の中でのさまざまな利害関係や確執を描き、人間関係の複雑を語った。成瀬は家族を社会の縮図のように捉えていたのではないか。嫁として外からやってきたり、外に出て行ったりということも含めて、家族とは社会そのものであると言っているように私には思える。

この『歩いても 歩いても』の家族の捉え方はまさに成瀬的なものだ.

それは、是枝裕和という映画作家が非常に現代的/同時代的な作家であると言うことにも起因していると思う。小津も成瀬も家族を通して社会を描いたが、小津のほうはどこか達観しているというか社会の根本的な部分を描こうとしていたように思える。それに対して成瀬は常に同時代的な問題意識を持って社会を見つめていたのではないか。時代の変化が家族の関係を変え、それが人のあり方を変る。成瀬の作品を見ていくとそのような主張を強く感じる。

是枝監督は『誰も知らない』とこの『歩いても 歩いても』でまったく別のかたちの家族を描いたが、どちらも非常に現代的な家族である。彼の問題意識は「家族というものは」というところにあるのではなく、社会の中に生きる人間と家族との関係にある。

このふたつの作品に共通するのは、何かが欠けた家族であるという点だ。『誰も知らない』は親が欠け、この『歩いても 歩いても』では長男が欠けている。家族全員がそろったいわゆる“普通の”家族はなく、何かが欠けた家族が主題になっているのは、そのような家族のほうが歪みを描きやすいということもあるのだろうが、同時に“空白”というものが非常に現代に顕著な現象であるからではないか。“空白”は家族にも、社会にも、個人の心の中にもある。現代人はみなどこかに空白を抱えている。

『歩いても歩いても』が見られるVODは

映画『歩いても歩いても』が見られるVODは以下のとおりです(2020年3月現在)。

2,189円/月
31日間無料
500円/月
30日間無料
888円/月
1ヶ月無料
2,659円/月
30日間無料

『歩いても歩いても』の次に見るべき映画

是枝裕和監督が描く「家族」

日本映画の巨匠が描いた家族

娘・妻・母 晩春