湯浅政明監督『きみと、波にのれたら』物語は凡庸でも感動はさせる映像の魔術
湯浅政明監督が2019年に制作した長編第4作。サーフィン好きの大学生ひな子と消防士の港が出会い、恋に落ちる。二人はごく普通の恋人同士としてデートをし、港はひな子からサーフィンを習ってハマっていく。幸せな二人の日々はある事故で急展開を迎える。
映画『夜明け告げるルーのうた』、最近ではTVアニメ「映像研には手を出すな!」などで話題の湯浅政明監督の映像には人を引き込む力がある。
映画『きみと、波に乗れたら』の概要
大学に進学した向水ひな子は生まれ故郷でもある海辺の街に引っ越してくる。子どもの頃からサーフィンをしていたひな子は早速海に出て波に乗る。それを眺めていた消防士の雛罌粟(ひなげし)港は後輩の山村山葵に「俺のヒーローが帰ってきた」と話す。
その数日後、ひな子の住むマンションの隣の空きビルで若者が花火をして火事が発生、屋上に逃げたひな子ははしご車で上ってきた港に助けられる。そこから二人の仲は急接近し、恋人同士に、港はひな子にサーフィンを習い習得。ある日、「この日に波に乗れたら願いが叶う」という言い伝えをひな子に聞いた港はひとり波乗りに行くが帰らぬ人となってしまう…
監督:湯浅政明
脚本:吉田玲子
総作画監督:小島崇史
撮影監督:福士亨
音楽:大島ミチル
声の出演:片寄涼太、川栄李奈、松本穂香、伊藤健太郎
世界観に浸れるアニメーション
まったく予備知識を入れないで見ることができればいいのですが、どうしてもあらすじなどの情報が入ってきてしまうもの。この映画も見る前に途中で港が亡くなり、二人の思い出の歌をひな子が歌うと港が現れるというところまでは事前にストーリーが分かっていました。
なので、そこに至るまではとにかく退屈。公式でネタバレをするなら、そこまでの展開を短くするか、逆にネタバレしないようにした上で公開してほしかったと思いました。
というわけなので物語の解説は後回しにして、この映画の良かった点について書いていきたいと思います。
何より、舞台装置の造形のよさでしょう。個人的に一番いいなと思ったのは行きつけの喫茶店。レトロな雰囲気の喫茶店が2人の初デートの舞台になり、港がなくなったあとは洋子がアルバイトをし、最後まで物語のターニングポイントの舞台になります。
そこの経営者?もいいし、レトロな貨物用エレベーターもいいし、店内の造作もいい。こういう場所がある世界観というのは人を引きつける力があるのだと思います。物語が凡庸で主人公に感情移入がしにくくても、この世界観には入ることができる、だから映画にも浸ることができるのです。
湯浅政明監督の他の作品を見ても思うのは、この「世界観」の良さ。細部の面白さも含めて作り上げられた世界観の居心地の良さというのが彼の作品の魅力な気がします。それはこの作品でも生きているということができるでしょう。
そしてそれを作り出しているのは主に映像です。好き嫌いはあるかもしれませんが、どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせながら現在を描いているので間口は広く、基本的の物語はSFであるにも関わらず一般に受け入れられやすいのだと思います。「四畳半神話大系」などはかなりハードなSFなのにその世界観で受け入れやすい作品になっています。
その世界観がこの映画でも作られていて、そこにうまく入り込めれば「なんでこんなことで感動してるんだろう?」と思いながらも感動できるようになっているのです。
凡庸な物語を読み解いたら死の意味を考えることになった
さて、物語の方ですが、実質的に映画が始まるのは、港が亡くなってから。その前までは登場人物の紹介と関係性の土台を築くパートだと理解しましょう。
その上で、この物語を見てみてもやはり凡庸。基本的にこのストーリーで起きるだろうことが起きます。主要な登場人物は港とひな子と港の後輩の山葵と妹の洋子、絶望するひな子を山葵と洋子がなんとか立ち直らせようとするという展開です。
歌を歌うと死んだはずの人間が姿を表すという平凡ではない設定に関わらずこの物語が凡庸に感じられるのはなぜなのだろうかと考えると、伏線があからさまなことが一番の要因だろうと思います。冒頭の「俺のヒーロー」という発言しかり、山葵がひな子に渡したタオルしかり、恋人の聖地しかり、こうやって回収されるんだろうなという予想通りに回収されるので驚きが生まれないのです。
では、この物語の込められた意味は何なのでしょうか。重要なのは、よみがえる港の存在です。基本的には他の人に見えないので、ひな子の精神状態が生み出した幻影であるという見方ができると思います。でも、これはSFなので、港が存在していなければ起きないような不思議な現象が起きます。そしてクライマックスでは多くの人が港の存在を信じるようになります。
この意味を考えると、結局ひな子が港の死を受け入れるとはどういうことなのかということに行き着きます。港の死を受け入れられないひな子には港が見えるようになります。それは基本的には幻です。物語も港が幻であるという前提に立っても破綻しないように構成されています。この時点ではひな子は存在しない港を連れ歩く頭のおかしい女なのです。
周囲はそれを否定して現実に戻ってくるように説得しようとします。ひな子も現実に戻りたいけれど、それが港を失うことを意味するなら嫌だという思いに固執しています。
ひな子が解放されるために必要なのは、港を忘れずに死を受け入れること、そのための方法をひな子は自分の中に探し続けているのです。
死を受け入れるとはどういうことか。それは、物理的には存在しない人のあり方を決めることです。今後死んだ人とどのような関係で生きていくかを決心することができれば死を受け入れることができるのです。それが整うには、周囲との感覚のギャップをなくすことも必要です。それが起きるのがこの映画のクライマックスなのです。
このクライマックスで描かれる超常現象は、ある種の共同幻想です。科学的な解釈は不可能ですが、こういう現象が起こったことは間違いなく、それを周囲と共有できたことでひな子は港の死を受け入れることができたのです。
大切な人の死とそれを受け入れることという誰にとっても重要な出来事をしっかりと描いていることで、この物語は凡庸でありながらも感動的なものになったのだと思いました。
『きみと、波にのれたら』が見られるVODは
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