溝口健二が国際的評価を得た『雨月物語』のアンチクライマックスと引き込まれるドラマ
黒澤、小津に次ぐ巨匠とも賞される溝口健二の代表作の一つがこの『雨月物語』。江戸時代の文学を翻案し、時代劇ながら現代的なドラマに仕上げています。ヴェネチア映画祭で銀獅子賞を得たこともあり、海外の批評家にも引き合いが出されることの多い作品です。
映画『雨月物語』の概要
戦国時代、近江の国の農村で焼き物を作っていた源十郎は戦に乗じて町で焼き物を売り小金を手にする。女房の宮木の喜ぶ顔を見て調子に乗った源十郎は侍になるための金がほしい弟籐兵衛とともに大量の焼き物を作り始めた。そしてついに釜に入れたとき、村に柴田の軍勢が来たため、やむなく山に逃げることになってしまったが…
江戸時代に上田秋成に著された『雨月物語』を川口松太郎らが大胆に脚色し、溝口が監督をし、宮川一夫がカメラを持って、日本映画史上に残る名作に仕上げた。外国での評価も高く、ヴェネチア映画祭で銀獅子賞を得た。
1953年,日本,97分
監督:溝口健二
原作:上田秋成
脚本:川口松太郎、依田義賢
撮影:宮川一夫
音楽:早坂文雄
出演:京マチ子、水戸光子、田中絹代、森雅之、小沢栄太郎
アンチクライマックスと溝口の真髄
原作が「雨月物語」だけあって、かなりドラマが太い。技術や演出がどうこう言う前に登場人物たちのドラマに引き込まれる。源十郎や藤兵衛の行く末は大体予想がつくが、それでもその悲惨さというか、やるせなさに心打たれる。
そして何よりも印象的なのは宮木の死。フランスの批評家セルジュ・ダネーは、著書「不屈の精神」の中で、この宮木の死を「死んでも死ななくてもいいような死」というような感じで述べ、しかしだからこそ溝口がすごいというようなことを行っていた。
それは、この宮木の死が画面の前面ではなく背景のようなところでサラリと移されてしまっているから。普通なら観客の注目が集まるように描くべきところをそうではなく気づかれないかもしれないような形で描くことに意味を見出していた。
ダネーがそのように語るのは、この死が実は非常に重要だからではないか。この宮木の死によってドラマはすっかり変わってしまう。この死によってこのドラマは決定的にハッピーエンドの可能性を奪われる。この死以降はどこを切っても不幸しかでてこない。たとえ籐兵衛が出世したとしても、その結末に訪れるであろう絶望を見てしまっているわれわれはそこに希望を見出すことはできない。
そんな映画上の重要な転換点であるひとつの死をさらりと、ほとんどセリフもない、物語の本筋とは関係なさそうな文脈で語ってしまうところが溝口のすごいところなのだ。このある種のアンチクライマックスによってリアリティを生み、人を引き込む力がある。
そして、もちろん映像もすばらしい。言わずと知れた宮川一夫。一番ぐっと来たのは、籐十郎が初めて若狭の屋敷に行ったとき。日が暮れて、屋敷のそこここに、灯りがともされ、そこを若狭が歩いてくる。カメラはそれを屋敷の上からゆっくりとパンしながら撮り、ゆっくりと視点をおろしてゆき、籐十郎がいる部屋の正面でぴたりととまる。そのとき、フレームの右側からフレームインしてきた松がすっと前景に入るその美しさ。人物は小さく、松は大きい。その画面のバランスがたまらなくいい。
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