黒澤明『天国と地獄』は企業を舞台にしたサスペンス映画のスタンダードをつくった
黒澤明がエド・マクベインの原作を映画化した1963年のサスペンス映画。スリリングな展開で映画として面白いだけでなく、白黒映画の中で色を使った演出をしたことで映画史に残るものとなった。
映画『天国と地獄』の概要
ナショナル・シューズの権藤常務の家に、会社のお偉方が集まった。彼らは昔ながらの靴にこだわる社長に反旗を翻し、会社の実験を握ろうという話を権藤に持ちかけたが、彼はその話を突っぱねた。実は彼には独自の計画があり、5000万円の小切手を渡せばその成功をほぼ手中にするところだった。しかし、そのとき息子を誘拐したという電話がかかってくる…
エド・マクベインの原作を黒澤明が映画化した本格派サスペンス。犯人と警察の心理ゲームの展開は今見てもスリリング。映画の途中のあるあっと驚く仕掛けも見もの。
1963年,日本,143分
監督:黒澤明
原作:エド・マクベイン
脚本:小国英雄、菊島隆三、久坂栄二郎、黒澤明
撮影:中井朝一、斎藤孝雄
音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、香川京子、仲代達矢、江木俊夫、三橋達也、志村喬
黒澤明の「普通さ」
企業がらみのサスペンスというのは60年代の日本映画にはなかなか多く、それはやはり高度経済成長という世情を反映してのことだろう。だからこの映画の題材自体はそれほど目新しいものではなく、60年代に典型的なモチーフのひとつであるといえる。しかし、それまでに確固とした地位を築いてきた黒澤明だけにその作品の質はさすがとしか言いようがない。
黒澤明の何がすごいのか、三船敏郎の眉間の皺か。この映画を見て思うのは、黒澤明の映画は現在に至るさまざまな映画に取り入れられているということだ。そしてそれは『踊る大捜査線』のように意識的に、あからさまに取り入れる場合だけでなく、さまざまな細部が当たり前のように使われている。それはたとえば、カメラのズームアップのタイミングであったり、人物の描写の仕方であったりする。『踊る大捜査線』というのは映画版でつかわれたあの桃色の煙のことです、念のため。
そこからわかってくるのは黒澤明の映画の面白さの根底にあるのは「普通さ」なのではないかと。もちろんそれは黒澤明が一般化したものなわけですが、黒沢明以後の映像作品を見慣れた眼から見ると、黒澤明の作品は基本的に「普通」であるように見える。もちろんその奥には現在の薄っぺらな作品とは違う人物描写の深さとか、映像の鋭さとか、画面の端々まで気を配った細かさとか、そういうものがあるわけですが、黒澤と対極に論じられる小津のような「不自然さ」というものはそこにはないのです。
この映画で言えば、もちろん桃色の煙は思わず「すごい!」とうなってしまうすばらしい効果でしたが、私が一番いいと思ったのは、黄金町のドヤ街のシーン。ヤク中の人たちをあまりに定型的に描きすぎている感もありますが、その人の波の迫力、そこを歩く男の姿を捉え、一人のヤク中の女を捉えるシークエンスの流麗さ、そこには迫力と混沌があると同時に美しさがある。
時代変われば演出も変わる
あとは件の電車のシーンですが、ここをはじめとして気にかかるのは警察のあまりのふがいなさでしょうか。そもそも身代金を持って電車に乗ったんだから、どこかで受け渡しがあるはずだし、外部との接触があることが想定できるんだから、電車と平行させて車を走らせるくらいのことはしてもいいはず。国鉄と協力すれば外部との連絡も取れるはずだし。あとこれは疑問ですが、この当時は指紋照合という技術はなかったんですかねぇ? 多分なかったんでしょうね。あったとしたら換金場所のほうに指紋が残っているはずだし。
ところで、わたしは黄金町がドヤ街だったことすら知らなかったんですが、歩いて伊勢崎町に行っているところを見ると、今で言う伊勢崎モールの端の辺りなんでしょうかね。いまそのあたりは風俗店が軒を連ねているらしいので、多分そのあたりなんでしょうね。いつごろまであんな感じだったんだろう?
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