ほぼ全編セックスシーンの『I.K.U.』が挑戦するアートと表現と性

ほぼ全編セックスシーンの『I.K.U.』が挑戦するアートと表現と性

映画『I.K.U.』の概要

人間のオーガズム・データを収集すべく開発されたレプリカントの活躍を描く近未来SFアート映画。監督は『フレッシュ・キル』のシュー・リー・チュン。当時人気のAV女優が多数出演している。

2001年/日本/74分
監督:シュー・リー・チュン
原作:浅井隆、シュー・リー・チュン
脚色:シュー・リー・チュン
撮影:嘉本哲也
音楽:ザ・サボテン
出演:時任歩、夢野まりあ、佐々木ユメカ、有賀美穂

セックスとアートの難しい関係

脳に直接快楽信号を送るチップを製造するゲノム社は、オーガズムデータを集めるためにレプリカントのREIKOをニュー・トーキョーに送り込む。相手に合わせて7種類の姿をとるというREIKOはセックスを通してデータを収集する。しかし、それを邪魔するウィルス、トーキョーローズが現れ…

という話だが、ストーリーはどうでもいいというかほぼ意味がない。

ほとんどすべてがセックスシーンかヌードシーンで、それをサイケかつレトロに表現する。どこかスチームパンク的でもあるSF映画だ。

出演するのもほとんどがAV女優で、裸を惜しみなくさらけ出し、からみのシーンも非常に多い。ただ、決してセクシーではない。おそらく性欲を刺激するようには作られていないのだろう。これはAVでもピンク映画でもないのだ。

じゃあ何なのか。おそらくこれは社会批判を含んだアートなのだろう。

この作品で最も強い違和感を感じるのはモザイクの存在。結合部分のモザイクが映像の統一感と緊張感を破り、安物のAVのようにしてしまっている。それに対して、性器をしっかりと表現しているのが美しくもなんとも無い抽象化されたアニメだ。

このアートとして作られたはずのセックスシーンのモザイクと、安っぽいアニメのもろの表現を通して、この作品は日本の表現規制に異論を唱えているのだと想像できる。

だが、それはどうなのだろうか?結果的にできた作品の芸術性が損なわれ、面白くもなくなったら、社会批判もなにもないのではないか。結果的にアートとしても中途半端、社会批判としても中途半端になってしまった感は否めない。

ただ、終盤で金魚を前景に使ったセックスシーンは工夫もあったしアート映画として見れるものだと感じたので、それだけの映像を作る力はあるのだろう。その力をもっても規制に抗いそれを破りうるようなアート表現をすることはやはり難しいのだと感じた。

その中でも、 男性レプリカントが出てきたり、ゲイカップルやレズビアン、ドラァグクイーンも登場させるところには、多様性や自由を尊重しようという意図があることはわかった。

それでもやはり全体としては何が言いたいのかわからないしあまり面白くない。考え進めれば、芸術と猥褻と多様な性的嗜好などいろいろなことに思い至るが、この映画はどれだけの人にそれを促せるのだろうか。

『I.K.U.』が見られるVOD

映画『I.K.U.』が見られるVODは次のとおりです(2020年6月現在)。今、特別にUPLINK Cloudで60本3ヶ月見放題企画が実施中でそちらに含まれています。

その他のVODは現在利用できません(2020年6月現在)。

『I.K.U.』の次に見るべき映画

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