嫁と姑も女と女である、『華岡青洲の妻』があまりに増村保造らしい理由とは

嫁と姑も女と女である、『華岡青洲の妻』があまりに増村保造らしい理由とは

映画『華岡青洲の妻』の概要

田舎の武家の娘である加恵(若尾文子)は近くの田舎医者・華岡直道の評判の妻であるお継(高峰秀子)に憧れを抱いていた。華岡家の息子・青州に妻にと請われた加恵は父の反対を押し切って華岡家に嫁いだ。最初は仲睦まじくやっていた加恵とお継だったが、留守にしていた夫の雲平(青洲)が帰ってくると、徐々に関係に変化が現れてくる…

江戸時代の実在の医者華岡青洲を描いた有吉佐和子のベストセラー小説の映画化。とはいっても増村色がかなり色濃く、物語も映像もまぎれもなく増村保造という作品。

1967年,日本,100分
監督:増村保造
原作:有吉佐和子
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
音楽:林光
出演:市川雷蔵、若尾文子、高峰秀子、伊藤雄之助、浪花千栄子、杉村春子(語り)

あまりに増村的な物語と映像

物語が増村的であるのは、結局のところこの映画が1人の男を巡る2人の女の戦いという要素に還元できるからだろう。そういった状況での女の激しい愛情というものは増村が繰り返し描いてきたことであり、それが舞台が江戸時代となり、二人の女の関係が嫁と姑となったところで本質は変わらない。そのような物語だからこそ、そのように描ける自信があったからこそ、増村は映画化を熱望したのだろう。

映像が増村的であるのは、やはり構図。構図に工夫が凝らされているのはいかにも増村らしい。しかし、この映画が他の映画と少々異なっているのは、3人以上の人がいるシーンが多いということ。増村の映画は全体的に見てみると、2人の人間を描いた場面が多い(ような気がする)。しかし、この映画は3人以上(特に3人)の人間を描く場面が非常に多い。そこでは2人の場面とは明らかに異なる構図の工夫がなされている。そしてそれは、会話をしている2人と、しゃべっていない1人の位置関係という形で特にあらわれる。

後姿の青洲をはさんで(これによって画面は完全に二分割される)話す加恵とお継を配したシーンや、画面の右半分の手前でしゃべる加恵と青洲に対して、左側の奥でじっと座っているお継を描いた場面などがそれであるが、このときの会話に参加していない一人の存在が非常に面白い。わかりやすく表情で語らせる場面もあるが、ただの背中や表情の変わらない横顔であっても、それで語られることは非常に多く、物語を視覚的に展開させていくのに非常に効果的だ。

個人的にはこれはかなりいいと思います。静かな映像の中に凝らされた工夫というのはかなり好み。

『華岡青洲の妻』が見られるVOD

2021年1月現在、『華岡青洲の妻』が見られるVODはありません。

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