是枝裕和監督は『DISTANCE』でドキュメンタリーとフィクションの境界を揺るがした。
いまや日本を代表する映画監督の一人となった是枝裕和が2000年に監督した長編第3作。カルト教団をモチーフに、ドキュメンタリータッチで加害者の遺族の心理を描いた。
当時モデルだったARATA(井浦新)と伊勢谷友介を『ワンダフルライフ』に続いて抜擢、俳優としてのキャリアの第一歩となった。
映画『DISTANCE』の概要
カルト教団が水道水にウィルスを混ぜ、多数の被害者を出す事件がおきてから3年。3年目のその日、年齢も職業もばらばらな4人が事件の起きた貯水池へと向かう。彼らは事件を起こした後死んでしまった加害者の遺族達。彼はそこで元信者に出会った。
監督3作目にしてすでに評価の定着した是枝監督は、淡々とした中に複雑な思いを織り込んだ物語をつむぐ。この映画もそんな味わいの作品。
2000年,日本,132分
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
出演:ARATA、伊勢谷友介、寺島進、夏川結衣、浅野忠信
意外性がフィクションをドキュメンタリーに近づける
いくつかのテレビドキュメンタリーを手がけてきた是枝監督ならではのドキュメンタリー要素を取り込んだ作品。カメラマンもTVドキュメンタリーで有名な山崎裕を「ワンダフル・ライフ」に続いて起用。手持ちカメラの映像がドキュメンタリーらしさをさらに演出する。
私はいわゆる「ドキュメンタリータッチ」を毛嫌いしていますが、この作品は違う。ドキュメンタリーとフィクションの違いとわれわれが思う一番大きな要素はドキュメンタリーの予測不可能性で、シナリオがないドキュメンタリーでは計算どうりに映像を作り上げることはできない。いわゆるドキュメンタリータッチのフィクションの多くはその予測不可能性を演出によって作り出そうとすることでそこに幾らかの「うそ臭さ」が漂ってしまう。
この映画は脚本の時点で細かいセリフやカメラ割の指定を排除することで、予測不可能性を作り出す。つまりカメラを回し始めるとき、そこで何が起こるのかの予測が不可能であるわけだ。もちろん、設定や人物の位置や動くタイミングなどは決められているし、うまく撮れなければ撮り直しをするということだろうが、ここで実現されるのは意外性のある映像である。
監督の頭の中で作品が組み立てられ、その要素をとっていくという典型的なフィクションの手法はここでは取られない。ある種の意外性が監督の頭の中のイメージに付加されていくことで映画自体に様々な価値が加わってくる。これは是枝監督がドキュメンタリーとフィクションを融合させるということを実現させつつあることの証明なのかもしれない。
前もってドキュメンタリーであるかフィクションであるかを告げられない限り、単純に見ただけではその区別をつけることは難しい場合がある。つまりフィクションとドキュメンタリーの間には映画としての絶対的区別は存在しない。そのそもそも存在しないはずの区別によって意味もなく分類されているドキュメンタリーとフィクションというの境界を消滅させつつあるのがこの映画なのかもしれない。
『DISTANCE』が見られるVODは
映画『DISTANCE』が見られるVODは次のとおりです(2020年3月現在)。
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『DISTANCE』の次に見るべき映画
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『幻の光』
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『カナリア』
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