映画史に残る『七人の侍』3時間半が短く感じる黒澤明の仕掛け

映画史に残る『七人の侍』3時間半が短く感じる黒澤明の仕掛け

世界中の映画製作者に影響を与え続ける黒澤明映画の金字塔。三船敏郎演じる野武士が侍たち、百姓たちを巻き込んで繰り広げる3時間半の大スペクタクル。これを見ずに映画を語るなかれ!

映画『七人の侍』の概要

時は戦国時代、野武士の来襲に怯える山間の農村、村人たちは知恵を絞り、村の長老の忠告に従って、食事を供するという条件だけで村のために戦ってくれる浪人者を探すことに。そのために4人の百姓が町に出たが、なかなか見つからず仲間割れも起こりそうになったころ、ある村で子供を人質に立てこもった盗人を見事に成敗した侍に出会う。そしてその侍に話を持ちかけると、じっくり考えた末、侍が7人いれば村を守れるだろうといって百姓の頼みを聞き入れ、仲間探しが始まった。

いわずと知れた日本映画の金字塔。3時間半もの上映時間、型破りのアクション、何をとっても偉大なる作品。三船敏郎よりも志村喬が光っている。1960年に、ハリウッドで『荒野の七人』として西部劇にリメイクされたのもいまさら言うには及ばぬ話。

1954年,日本,207分
監督:黒澤明
脚本:橋本忍、小国英雄、黒澤明
撮影:中井朝一
音楽:早坂文雄
出演:志村喬、三船敏郎、加東大介、藤原釜足、木村功、千秋実、宮口精二、津島恵子

3時間半のどこにも削るところはない

この映画の脚本と編集は本当にすばらしい。3時間半という長い時間をどのように配分するか。1時間半や2時間という上映時間になれた観客をどのようにそれだけ長い間引っ張っていくか。その点ではこの映画は本当にすばらしく、まったく飽きるということがない。ヨーロッパでの上映の際にあまりに長すぎるということでカットを余儀なくされたようだが、それは本当におろかなことで、黒澤明の言うとおりこの映画に削ることができる部分はまったくない(休憩はちょっと長いけど)。映画の序盤、村の水車だけに費やした3カットも必要なカットだったと思う。

全体のバランスからすると、最後の合戦の場面が少々長いような気もする。それよりも7人を集める過程とか、村人たちとともに準備する過程とか、そのほうが面白い。しかしやはり、合戦の場面こそが見せ場で、それがあるからこそそれまでの話が面白いというのも事実。このあたりは個人の好みになるでしょう。おそらく村での場面がダレるという意見のほうが大勢を占めるかと思います。

三船敏郎だからこその映画

この物語の面白さというのは、基本的に「侍-百姓-野武士」という関係性によっている。まったく立場が違うようでいて、実は微妙に重なり合っている3者の戦い。最後に志村喬が言うように、この戦は百姓にとっての勝ち戦であって、侍と野武士にとっては負け戦であった。その3者の(主に侍と百姓の)関係性が刻一刻と変化していくところがこの映画が飽きることなく見られる映画になる最大の要因になっているといえる。

その関係性の最大の鍵になっているのは、三船敏郎の存在で、三船が馬小屋でぼそりと「思い出すなぁ」というところは、私がこの映画のなかで最も好きなシーンのひとつである。そのシーンをはじめとして、三船演じる菊千代が存在するからこそこの映画が展開していけるということは確かである。

しかし、その一方で私はこの映画の主人公というのは三船敏郎ではなく志村喬だと思うし、侍たちの関係だけを考えたなら、三船敏郎の存在というのはある種バランスを崩す存在になってしまっていると思う。映画全体として三船敏郎の役割を果たす存在は絶対に必要だった。しかし彼のキャラクターは危ういバランスの上に成り立っているということもいえる。彼が三船敏郎であるがゆえにようやくこなすことができた役、しかし逆に三船敏郎であるがゆえにこのような役になってしまったとも言える。

つまり、この役はおそらく本来は一人でこなせるような役ではない。侍たちの間に漣をおこし、和ませ、一方で百姓と侍の橋渡しをし、百姓たちの中にもいろいろな種を植え、さらにさまざまな面倒の種にもなる。普通の役者なら2人か3人が役割を分担しなければ演じられないような役、それを一人で演じてしまう三船敏郎はすごい。しかし、同時にそれによってアンバランスも生じている。たとえば、千秋実演じる平八が果たすべき場を和ませる存在としての役割をも菊千代は奪ってしまった。タイトルに七人とある割にはその七人の役割分担がぼんやりとしているのは、このようにして菊千代がその構図を突き崩してしまっているからだろう。

七人の誰に感情移入するかで変わる印象

見方によって変わるであろうこの菊千代=三船の捉え方によってこの映画の評価は大きく変わる。それはこの映画を誰の立場で見るのかという見方にもよる。黒澤はいつものように特定の視点を設けず、第三者の視点からすべてを見通させる。しかし、「七人の」というタイトルの割には群像劇というわけではなく、誰でも好きな侍に、あるいは百姓たちにでも自己を没入させることができるように作っている。それはおそらくこの長時間をずっと客観的に過ごすのは退屈すぎると考えたからかもしれないが、とにかく2時間そこそこの映画とは少し趣が違っている。

そのようなわけもあって、この映画はさまざまな見方を受け入れる。私は今回どのようにこの映画を見たのか自己分析してみたら、自分でも意外なことに加東大介演じる七郎次に肩入れしてみていたような気がした。多分それは加東大介という役者が好きだからというだけの理由だと思うが、だからなんとなく菊千代にある種の胡散臭さのようなものを感じていたのかもしれない。

別の誰かに肩入れしてみたなら、菊千代の、そして映画の見方はがらりと変わったのだろうと強く感じました。それが「七人の」という冠にこめられた黒澤の意図のひとつであると私は信じます。そして、いろいろな人に愛される理由であるとも思います。『荒野の七人』とか『宇宙の七人』とか、を見るとその監督が誰に身を置いて見たかがわかるかもしれないとも思います。

皆さんは自分が誰に身をおいてこの映画を見ましたか?

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