黒澤明が『蜘蛛巣城』で表現した「マクベス」の怪奇と狂気

黒澤明が『蜘蛛巣城』で表現した「マクベス」の怪奇と狂気

黒澤明がシェイクスピアの「マクベス」を戦国時代に置き換えて撮った圧巻の時代劇。一見、冗長な展開の奥に潜む狂気と怪奇が現代的な意味を考えさせる。

映画『蜘蛛巣城』の概要

戦国時代、難攻不落の蜘蛛巣城の城主・都築国春に使える二人の武将鷲津武時と三木義明は敵の襲撃を追い払い、城主にそれを伝えるため城に向かった。しかし慣れているはずの城下の森で迷ってしまった。二人は物の怪の声をきき、その声を追っていくと、そこには不思議な老婆がいた。そしてその老婆は、二人の未来について予言を始める…

シェイクスピアの『マクベス』を戦国時代に置き換えるという大胆なことをした黒澤明。言われてみれば『マクベス』という感じだが、基本的にはいつもどおりの時代劇。圧巻はラストシーン。内容は明かせませんが…

1957年,日本,110分
監督:黒澤明
原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚本:小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明
撮影:中井朝一
音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、山田五十鈴、千秋実、志村喬、浪花千栄子

長すぎるシーンが作り出す「間」

1つの予言があり、その予言どおりになるかどうか、予言から逃れようとするかどうかという設定は古典的なもの。それは『マクベス』が原作なわけだから当たり前のことだが、その古典的な物語をその手順どおりに展開していくとなると、物語の展開でスリルを生み出すことは難しい。この映画で物語りにひねりを加えているのは山田五十鈴演じる浅茅だが、これもひとつの古典的な役回りのひとつであるに過ぎない。

だから、映画は全体として冗長な印象がある。なかなか進まない物語、長すぎると感じられるようなシーンの積み重ね。展開を追ってそのために必要なシーンをつないでいくだけならば、1時間で終わる映画だろう。予言を行う“物の怪”が現れ、歌を歌うシーン、あのシーンがあそこまでに長いのはなぜか。物の怪から逃れ、二人が霧の中をさ迷うシーン、あそこまで同じ場所を行ったり来たりするのはなぜか。

このような長いシーンはその画面の端々を観察し、そのシーンが持つ意味を考えるための間なのだ。人がストーリーを追いかけるだけで過ごすには遅すぎるテンポを使うことによって黒澤明はそのような「間」を作り出す。それはスペクタクルとして、プロットによって観客を引っ張っていくハリウッド映画とは対照的なものである。ハリウッド映画に飼いならされてしまったわれわれはそのテンポの遅さにいらだってしまう(しかも外面上は一種のスペクタクルとして展開されている)。

先ほどの物の怪がらみの二つのシーンが得ようとしている効果とは何か。それは物の怪の力が二人に及んでいることを示すことだろう。物の怪の老婆にひきつけられ、自分が自由にならないような感覚、霧の中をさ迷っている時点でもいまだ物の怪の力は及んでいて、同じところを堂々巡りしていることに気づかない。そのような感覚を表現しようとしている。しかし、それを彼ら二人の視点から描くのではなくて、客観的な視点から描くところにも黒澤明の特徴があるのだが、それについてはここでは詳しく述べない。

狂気と怪奇と幻想のはざまを行き来する

さて、先ほど言った「間」は映画の現代的な意味を考える時間にもなる。それほど注意を向けなくても映画を追っていけるとき、映画をいつもより注意深く見るか、あるいは映画について考えるかすることになる。それはつまり、映画を自分の生活にひきつけて考えるということである。特にこの映画の場合、映画の始まりがおそらく現在の「蜘蛛巣城址」であることから考えても、単なる過去の逸話としてではなく、現在と何らかのつながりがあるものとして描いているのだろう。

その意味はもちろん見ている人によって異なる。見ている時期によっても違う。しかし、共通するのは1つは「盛者必衰」ということであり、もう1つは物の怪という一種の怪奇と幻想という一種の狂気のつながりや境界の不確かさということであるだろう。

私が興味を引かれたのは後者で、この映画で交錯する狂気と怪奇は宴の席に義明が現れるところに端的に現れる。このシーンを見ながら、正気な人の想像が現実化したものが「怪奇」であり、狂気の人の想像が現実化したものは「幻想」であるのだという考えが浮かんだ。ともに見ている当人にとっては現実であるのだけれど、その人が狂気か正気かということで、その意味が変わってくる。しかし、もう少し考えてみると、その正気と狂気の境界などというものは明らかではない。「怪奇」を信じない人たちは、それを正気な人の一時的な狂気による「幻想」と考えるわけで、結局のところ信じるか信じないか(その人にとって現実であるかないか)ということに帰結してしまうのである。

この映画でも結局のところ信じるか信じないかだが、ひとつの予言が実現したことで皆が信じる土壌ができているということなのだ。それは一人(二人か)の狂気が生み出した「幻想」であったかもしれないものが、衆人の現実となる過程であると考えることもできるかもしれない。

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